ハタハタと雨が傘にぶつかって軽やかに踊る。

「楽しそうなのは雨の方だけじゃない…」

小さく溜息をひとつ。それだけ零すとなんだか悲しくなってきて、また余計な溜息をついてしまった。はぁ。

雨なんて、嫌いだ。まだ、私はもう、雨で遊ぶようなコドモではないのだ。

そこら辺にある水溜まりにばちゃんと、思いっきり足を突っ込んで水が私を侵すのを待つ。ローファーから入り込んだ水がだんだん靴下の方に寄ってきて…。
傘を差すのも面倒くさくなってきて、道路にほっぽり出した。人通りのない道なのが幸い。誰も迷惑なんて被らない。
髪が、ブレザーが、色を濃くしてゆく。何かに、染められたみたいで気分が良くなった私は、高価な制服を汚さないように気をつけつつも水溜りにしゃがみ込んで、指先で軽く触れた。

ぴしゃん、と音が鳴ったような気がして波紋が広がっていく。小さな小さな音叉を叩いたようにゆっくり、ゆっくり。
もう一つ。水たまりに向かってデコピンをした。
ぴしゃん。今度は本当に音がして、なんだか楽しくなってきた。
嗚呼、私はまだコドモなのだ。

ぴしゃん、ぴしゃん。
その小さな小さな音叉は、小さな小さな魂を引き付ける――。
なんて言うみたいに、黒い薄汚れた子猫がやってきた。
子猫は水たまりにびちゃんと勢いよく入ってきて、それから私を見上げる。
金色の、目。吸い込まれそうなくらいに綺麗。確かトパーズ、と言ったか。その宝石に似ている。

「綺麗だなぁ…」

首元を人差し指でくすぐると、子猫はばしゃんと水溜りの中で腹を見せてきた。「ひゃ、」水飛沫が、私の冷たい膝小僧に当たって、そのまま垂れる。
子猫の首元をくすぐる度に飛沫が私に飛ぶ。ぴちゃん、ぴちゃん、と今度はそれが私を侵す。

「こら、やめっ」

びちゃ、びちゃ。
これではコドモを通り越して幼児じゃないか。
なんて思いつつも楽しいからまぁ、いいか。みたいに思っていると急に肩にかかる雨が消えた。

「おろ…?」
「何してるんだよ、お前…」

真っ黒い傘を私の上にかけている、長身の男。
制服は私の学校と同じもので、足から顔へと視線を移すと見覚えのある眉間に寄った酷い皺と私の大好きな恋人のオレンジ色の髪が見えた。

「一護…」

私が呼ぶと、一護ははぁ、と私よりも深くため息をついて頭を掻いた。呆れられた、と恥ずかしいような悲しいような不思議な感情に戸惑って視線を落とすと、頭から白いタオルがかけられた。

「早く拭けよ」

ぶっきらぼうな言葉の中に優しさを感じる。あぁ、これが一護なんだ。私の肩にまだ、雨はかからないままでいる。水溜まりの中の子猫を胸に抱いて、一護のタオルでがさがさ拭いていく。
気持ちよさそうに目を細めて、私の胸にすり寄ってくる。また首元をくすぐるとごろごろ、と心地よい声が漏れた。
ふふ、とつい笑んでしまうと、猫の首根っこが人差指と親指で摘ままれて私から離れていく。

「…猫持っててやるから」

お前も早く拭け、というのか。
でもその持ち方はやめて欲しいな、と言うと一護は罰の悪い顔をして、でもちゃんと腕で抱いてくれた。
髪を絞って、タオルで顔を拭いて、足も、出来るだけ拭いて…。

「…ありがと」

タオルを絞って、出来るだけ湿り気を取って、差し出す。猫を腕に乗っけたまま、出された手にタオルを乗せる。
指が微かに触れ合って、その瞬間一護が眉をひそめた。

「…一護?」

顔を見上げたら、一護がいつもより眉間の皺がひどくなっていた。
なんだろう、と思いつつも、この眉間の皺さえなければカッコいいんだけどなぁ。などと考えてしまう辺り、私はKYなのだろうか、はて。
思惑を巡らせていると、一護の薄い唇が開いた。

「キス…していいか」

道端で、とんでもないことを言うのね。
なんて言う気はさらさら、不思議と起きなかった。恥じらいも、ない。
ゆっくり、眼の裏に一護の姿を焼き付けてから、目を閉ざす。
腕の中の猫がにぃ、と鳴く音がした次の瞬間、唇に優しい熱が降ってきた。
それから、また離れてもう一度くっつく。柔らかく、啄ばむみたいなキスが私から冷たさを奪っていく。

「ん…」

目をうっすらと開けると一護の顔がすぐ間近にあって、それは確かに当たり前のことなんだけど、恥ずかしくなってきて、再度ぎゅっと目を瞑った。
一回、離れたと思ったらもう一度、今度は角度を変えて口付けられた。
あぁ、また冷たさが彼に奪われてしまった。

「いちご…」
「…ん?」

私が名前を呼ぶと、一護は私に唇を落とすのを止めた。けれども顔は近いまま。顔が急に火照りだしていくのが分かって自分でもどうしようかと思った。
とりあえず、なんだ。話を作らなければ、と蕩けかけの脳でネタを考える。
そうだ、そうだ。一護の腕のなかのこのもっさりとした温かさはなんだったか。

「…ねこ」

一護から顔を離して、猫に顔を近付ける。上から舌打ちが聞こえて、それに怯えたのかにぃにぃとか弱い声を出した。私に助けを求めているみたいに見えたから、ちちち、と舌を鳴らす。すると猫は目を光らせて、一護の腕を抜け出して私の方に飛んできた。「こら、おまえっ」また上の方で声がしたと思ったら、猫は私の肩を飛び台にしてそのまま奥のブロック塀へと飛び移っていた。
それからは私を見ることもなく、そそくさと逃げていってしまった。

「あ…」

取り残された、ヒト二人。
私が呆然としていると、一護は私の頬に両手を添えて自分の方を向かせると、いきなりキスしてきた。両手…、傘が道に転がって、あ、雨に濡れちゃう。ぼうっとする頭でそんなことをぼやぼや考えながら一護のキスに溺れていく。

「んん…」

呻き声を漏らすと、一護が唇を離して「悪ィ」と謝罪の言葉を口にした。何を今更。
頬に添えられていた両手も離れていって、その片方が傘の柄を握る。
そしてもう一方の手を私に向かって差し出す。それで、一言。

「帰るぞ」



MY PLACE

(私のいるべき場所は、此処なんだって)


「…うん」